平 盛康(たいら の もりやす、生没年未詳)は、平安時代後期の伊勢平氏の武将。系譜ははっきりしないが、平正度の子で下総守・平季衡(1022 - 1081)の七男と見られている。右兵衛尉から右衛門尉。保延3年(1137年)、従五位下。同族の平正盛・忠盛父子と共に白河法皇に仕える。また正盛・忠盛一家の家人として仕えたと見られ、盛康の子と見られる平盛国は平清盛の家令として活躍した。
平 盛康(たいら の もりやす、生没年未詳)は、平安時代後期の伊勢平氏の武将。系譜ははっきりしないが、平正度の子で下総守・平季衡(1022 - 1081)の七男と見られている。右兵衛尉から右衛門尉。保延3年(1137年)、従五位下。同族の平正盛・忠盛父子と共に白河法皇に仕える。また正盛・忠盛一家の家人として仕えたと見られ、盛康の子と見られる平盛国は平清盛の家令として活躍した。