平 為盛(たいら の ためもり、生没年不詳)は平安時代末期の武将。平頼盛の次男。子に駿河守平俊盛がいたらしい。安元元年(1175年)12月に紀伊守、養和元年(1181年)7月に加賀守に任ぜられる。兄平保盛と共に同年9月には熊野討伐に出陣し、寿永元年(1182年)には諸国追討計画(未実施)で南海道方面大将に任ぜられた。『源平盛衰記』には、寿永2年(1183年)5月12日、倶利伽羅峠の戦いで木曾義仲の部将樋口兼光に首をはねられ討死したと記されているが、延慶本『平家物語』には、平家都落ち後に解官された一門として右兵衛佐為盛の名が認められる。『愚管抄』では、為盛は......
平 為盛(たいら の ためもり、生没年不詳)は平安時代末期の武将。平頼盛の次男。子に駿河守平俊盛がいたらしい。安元元年(1175年)12月に紀伊守、養和元年(1181年)7月に加賀守に任ぜられる。兄平保盛と共に同年9月には熊野討伐に出陣し、寿永元年(1182年)には諸国追討計画(未実施)で南海道方面大将に任ぜられた。『源平盛衰記』には、寿永2年(1183年)5月12日、倶利伽羅峠......