左 雄(さ ゆう、? - 138年)は、中国後漢代の政治家。字は伯豪。南陽郡涅陽県(河南省鎮平県)の人。安帝の時代、孝廉に推挙され、やがて冀州刺史となった。当時、州には豪族が多く、刺史に請託を好んだが、左雄は常に門を閉ざし、彼らと交際しなかった。また、貪猾な太守を訴えて忌避することがない人物だった。順帝の永建年間(126年-132年)初め、公車で徴されて議郎を拝命した。当時順帝が新しく即位したばかりで、大臣は懈怠し、政事には欠けるところが多かった。左雄はしばしば提言し、この言葉は心からのものだった。当時の廷臣の無為を嘆いていた尚書僕射の虞詡が、左雄を、忠誠......
左 雄(さ ゆう、? - 138年)は、中国後漢代の政治家。字は伯豪。南陽郡涅陽県(河南省鎮平県)の人。安帝の時代、孝廉に推挙され、やがて冀州刺史となった。当時、州には豪族が多く、刺史に請託を好んだが、左雄は常に門を閉ざし、彼らと交際しなかった。また、貪猾な太守を訴えて忌避することがない人物だった。順帝の永建年間(126年-132年)初め、公車で徴されて議郎を拝命した。当時順帝が......