島津 久義(しまづ ひさよし)は、室町時代の武将。薩摩国島津氏の分家・伊作家4代当主。建徳2年(1371年)、父・島津親忠より所領を受け継ぐ。応永2年(1395年)、今川了俊が九州探題としての任務を終え駿河国守護となり任地に赴くが、その際に島津討伐の書状を発す。これに応じた薩摩北部の渋谷氏が決起すると、島津宗家と共に征伐に参加。渋谷氏を撃退したが、島津宗家の内部では7代当主・島津伊久と、奥州家2代で、当時伊久から家督を譲られていた形の島津元久の対立が生まれていた。応永4年(1397年)、久義は宿怨のあった加世田別府城主・別府忠種を攻撃するも、島津宗家の仲裁......
島津 久義(しまづ ひさよし)は、室町時代の武将。薩摩国島津氏の分家・伊作家4代当主。建徳2年(1371年)、父・島津親忠より所領を受け継ぐ。応永2年(1395年)、今川了俊が九州探題としての任務を終え駿河国守護となり任地に赴くが、その際に島津討伐の書状を発す。これに応じた薩摩北部の渋谷氏が決起すると、島津宗家と共に征伐に参加。渋谷氏を撃退したが、島津宗家の内部では7代当主・島津......