岩本孫右衛門(いわもと まごえもん、慶長2年(1597年) - 寛文8年6月24日(1668年8月1日))は、荒木又右衛門の門人で「鍵屋の辻の決闘」で師に従い参加。名は政利(まさとし)。慶長2年、因幡国高草郡岩井郷岩本村(現 鳥取市金沢)に生まれる。岩本家九代隠の家譜(鳥取県立博物館 蔵)によると、その先祖は雲州尼子家臣山中鹿之助組下の酒井孫六。孫六は因幡国葛尾城にて討死、子孫は前述岩本村にて農業に従事していた。その末裔の孫右衛門が倅六助を連れて、大和郡山の荒木又右衛門に弟子入りした。渡辺数馬の「仇討」に加わったのは父の名を継いだ倅の六助である。諸説あるが......
岩本孫右衛門(いわもと まごえもん、慶長2年(1597年) - 寛文8年6月24日(1668年8月1日))は、荒木又右衛門の門人で「鍵屋の辻の決闘」で師に従い参加。名は政利(まさとし)。慶長2年、因幡国高草郡岩井郷岩本村(現 鳥取市金沢)に生まれる。岩本家九代隠の家譜(鳥取県立博物館 蔵)によると、その先祖は雲州尼子家臣山中鹿之助組下の酒井孫六。孫六は因幡国葛尾城にて討死、子孫は......