山田 有徳(やまだ ありのり、生没年不詳)は戦国時代の武将で、薩摩国島津氏の家臣。通称は蔵人。父は山田有親。母は市来家親の娘。妻は町田忠林の娘。子は山田有信。山田有親の長男として誕生する。父の有親は天文年間の初め頃に薩州島津家の島津実久に与して島津忠良・島津貴久父子に反目、天文2年(1533年)に降伏したものの二心を疑われて切腹に処された。忠良はそれを後悔し、有徳に山田氏の本貫地である日置郡山田を継がせた。有徳は貴久の家臣として活躍、大隅国宮之浦での合戦の際は、鼻の左に刀傷を負いながらも太刀始め(島津氏に於ける一番太刀)となった。弘治元年(1555年)の蒲......
山田 有徳(やまだ ありのり、生没年不詳)は戦国時代の武将で、薩摩国島津氏の家臣。通称は蔵人。父は山田有親。母は市来家親の娘。妻は町田忠林の娘。子は山田有信。山田有親の長男として誕生する。父の有親は天文年間の初め頃に薩州島津家の島津実久に与して島津忠良・島津貴久父子に反目、天文2年(1533年)に降伏したものの二心を疑われて切腹に処された。忠良はそれを後悔し、有徳に山田氏の本貫地......