山田 新左衛門(やまだ しんざえもん、生年不詳 - 天正13年3月25日(1585年4月24日))は下野国の戦国時代の武将。現在の栃木県矢板市字山田にあった山田城の城主山田辰業の家老。天正13年(1585年)3月25日、宇都宮勢と那須勢が戦った薄葉ヶ原の戦いの時、宇都宮方であった山田城の留守を守っていたが、辰業が討死した後、辰業の正室菊の前と侍女たちを守りながら城を脱出。山田城は那須勢に攻められ落城し、その追っ手に追いつかれたところを、菊の前の盾となり、菊の前一向を逃がして後、那須勢の追っ手と戦い壮絶な討死を遂げた。後世、新左衛門が討死した場所は、新左衛門......
山田 新左衛門(やまだ しんざえもん、生年不詳 - 天正13年3月25日(1585年4月24日))は下野国の戦国時代の武将。現在の栃木県矢板市字山田にあった山田城の城主山田辰業の家老。天正13年(1585年)3月25日、宇都宮勢と那須勢が戦った薄葉ヶ原の戦いの時、宇都宮方であった山田城の留守を守っていたが、辰業が討死した後、辰業の正室菊の前と侍女たちを守りながら城を脱出。山田城は......