山本 老迀斎(やまもと ろううさい)は、江戸時代後期の越後長岡藩の家老。老迀斎は晩年の号。諱は義方、後に藩主牧野忠精より一字拝領を受けて精義と改名。なお、『長岡市史』掲載の天明2年(1782年)の山本老迀斎の書では諱は義行となっている。石高は1300石。幼名は左傳次。通称は勘右衛門。字は子直。号は青城、老迀斎。
山本 老迀斎(やまもと ろううさい)は、江戸時代後期の越後長岡藩の家老。老迀斎は晩年の号。諱は義方、後に藩主牧野忠精より一字拝領を受けて精義と改名。なお、『長岡市史』掲載の天明2年(1782年)の山本老迀斎の書では諱は義行となっている。石高は1300石。幼名は左傳次。通称は勘右衛門。字は子直。号は青城、老迀斎。