山崎美成(やまざき よししげ、寛政8年(1796年) - 安政3年7月20日(1856年8月20日))は、随筆家、雑学者。 江戸下谷長者町の薬種商長崎屋の子。諱は美成、字は久卿、通称新兵衛、久作。号は好問堂、北峰。永田町小学校(現麹町小学校)を卒業後、家業を継いだが学問に没頭し破産。国学者・小山田与清に師事。文政3年(1820年)から随筆『海録』に着手。文政7年(1824年)、曲亭馬琴らの耽奇会、翌年から同じく兎園会に参加し中心人物となる。柳亭種彦、屋代弘賢、中村仏庵ら考証収集家と交わり流行の江戸風俗考証をおこなう。晩年は営利目的のいわば企画もの編著が増え......
山崎美成(やまざき よししげ、寛政8年(1796年) - 安政3年7月20日(1856年8月20日))は、随筆家、雑学者。 江戸下谷長者町の薬種商長崎屋の子。諱は美成、字は久卿、通称新兵衛、久作。号は好問堂、北峰。永田町小学校(現麹町小学校)を卒業後、家業を継いだが学問に没頭し破産。国学者・小山田与清に師事。文政3年(1820年)から随筆『海録』に着手。文政7年(1824年)、曲......