山岸 尚家(やまぎし なおいえ、生没年不詳)は、戦国時代の武将、越後上杉家臣。深沢尚重の次男。前名は深沢弥七郎。通称・中務少輔。上杉景勝配下の上田衆出身。妻は長尾景明の娘。文禄元年(1592年)黒滝城主山岸右衛門が朝鮮出兵中に没した際、右衛門の子忠兵衛がまだ幼かったのでその家督を継いだ。なお忠兵衛は後に母方の叔父にあたる山岸民部の跡を継いでいる。「御家中諸士略系譜」によれば、文禄3年(1594年)従五位下に叙されたという。「文禄三年定納員数目録」では、黒滝城主・2277石とされ、会津時代は5500石を知行した。慶長3年(1598年)8月、景勝の命により、岩......
山岸 尚家(やまぎし なおいえ、生没年不詳)は、戦国時代の武将、越後上杉家臣。深沢尚重の次男。前名は深沢弥七郎。通称・中務少輔。上杉景勝配下の上田衆出身。妻は長尾景明の娘。文禄元年(1592年)黒滝城主山岸右衛門が朝鮮出兵中に没した際、右衛門の子忠兵衛がまだ幼かったのでその家督を継いだ。なお忠兵衛は後に母方の叔父にあたる山岸民部の跡を継いでいる。「御家中諸士略系譜」によれば、文禄......