山内 隆通(やまのうち たかみち、享禄3年(1530年) - 天正14年(1586年)10月)は、日本の戦国時代の武将で、備後国人山内氏の当主。山内直通の外孫で多賀山通続の子。子は元通、広通。直通の子豊通は早死し、1536年には出雲の尼子氏により祖父直通も追放されたので、その跡を続いだ。なお、実家多賀山氏はもともと山内氏の分家筋である。当主就任時は上述の経緯などから尼子氏の強い影響下にあったが、大内氏の出雲遠征に従って敗退、逃走中の毛利元就ら一行を居城甲山城で慰労し、家臣を護衛につけて郡山城まで送っている。元就の娘婿宍戸隆家と血縁だったことから、彼を通じて......
山内 隆通(やまのうち たかみち、享禄3年(1530年) - 天正14年(1586年)10月)は、日本の戦国時代の武将で、備後国人山内氏の当主。山内直通の外孫で多賀山通続の子。子は元通、広通。直通の子豊通は早死し、1536年には出雲の尼子氏により祖父直通も追放されたので、その跡を続いだ。なお、実家多賀山氏はもともと山内氏の分家筋である。当主就任時は上述の経緯などから尼子氏の強い影......