小諸藩牧野氏の家臣団(こもろはんまきのしのかしんだん)は、元禄15年(1702年)に、越後国与板の陣屋から、小諸城主に栄転して、明治4年(1872年)廃藩置県まで存続した小諸藩牧野氏の家臣団である。小諸藩主牧野氏は、三河国宝飯郡牛久保城主を発祥とする徳川譜代・越後長岡藩主牧野氏の完全な支藩であるため、その家風は、本藩を見習うことが定められていた。その家風とは、「参州牛久保之壁書」と呼ばれる\"常在戦場・鼻を欠いても義理を欠くな\"などを家訓として掲げたものである。以下は門閥諸士の盛衰を中心に解説し、全家臣団の概要を掲載する。小諸藩の門閥とは、家老の家柄であ......
小諸藩牧野氏の家臣団(こもろはんまきのしのかしんだん)は、元禄15年(1702年)に、越後国与板の陣屋から、小諸城主に栄転して、明治4年(1872年)廃藩置県まで存続した小諸藩牧野氏の家臣団である。小諸藩主牧野氏は、三河国宝飯郡牛久保城主を発祥とする徳川譜代・越後長岡藩主牧野氏の完全な支藩であるため、その家風は、本藩を見習うことが定められていた。その家風とは、「参州牛久保之壁書」......