小笠原 忠徴(おがさわら ただあきら、文化5年10月12日(1808年11月29日)- 安政3年5月12日(1856年6月14日)は、江戸時代後期の大名。豊前国小倉藩の第7代藩主。小笠原家宗家8代。第6代藩主・小笠原忠固の次男。正室は前田斉広の娘。継室も前田斉広の娘。子に娘(戸沢正実正室のち小笠原忠幹正室)。官位は従四位下、左京大夫、侍従、伊予守。
小笠原 忠徴(おがさわら ただあきら、文化5年10月12日(1808年11月29日)- 安政3年5月12日(1856年6月14日)は、江戸時代後期の大名。豊前国小倉藩の第7代藩主。小笠原家宗家8代。第6代藩主・小笠原忠固の次男。正室は前田斉広の娘。継室も前田斉広の娘。子に娘(戸沢正実正室のち小笠原忠幹正室)。官位は従四位下、左京大夫、侍従、伊予守。