小笠原 忠嘉(おがさわら ただひろ、天保10年2月29日(1839年4月12日)- 万延元年6月25日(1860年8月11日)は、豊前小倉新田藩(千束藩)第7代藩主、のち豊前小倉藩第8代藩主。小笠原家宗家9代。正室、側室ともになし。官位は従四位下。右近将監。千束藩主時代の名乗りは小笠原 貞嘉(おがさわら さだひろ)。幼名は直之進。
小笠原 忠嘉(おがさわら ただひろ、天保10年2月29日(1839年4月12日)- 万延元年6月25日(1860年8月11日)は、豊前小倉新田藩(千束藩)第7代藩主、のち豊前小倉藩第8代藩主。小笠原家宗家9代。正室、側室ともになし。官位は従四位下。右近将監。千束藩主時代の名乗りは小笠原 貞嘉(おがさわら さだひろ)。幼名は直之進。