寿光院(じゅこういん、正字体:壽光院、? - 寛保元年10月10日(1741年11月17日))は、将軍・徳川綱吉の側室。大典侍(おおすけ)の通称で知られる。父は大納言・清閑寺煕房。始め宮中に仕え勾当内侍を務めていたが、大奥総取締・右衛門佐局の紹介で貞享年間(1684年 - 1688年)に江戸へ下向して大奥上臈となる。その後、綱吉の寵を受け、その側室となった。宝永6年(1709年)、綱吉の死後に落飾して寿光院を名乗った。実子がなかったことから、兄・清閑寺煕定の娘・竹姫を綱吉の養女にしている。 墓所は寛永寺大慈院にある。
寿光院(じゅこういん、正字体:壽光院、? - 寛保元年10月10日(1741年11月17日))は、将軍・徳川綱吉の側室。大典侍(おおすけ)の通称で知られる。父は大納言・清閑寺煕房。始め宮中に仕え勾当内侍を務めていたが、大奥総取締・右衛門佐局の紹介で貞享年間(1684年 - 1688年)に江戸へ下向して大奥上臈となる。その後、綱吉の寵を受け、その側室となった。宝永6年(1709年)......