画像引用元: www.ii-s.org寶川石五郎
推定知名度0.03%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
寶川 石五郎(たからがわ いしごろう、1816年〈文化13年〉 - 1858年8月26日〈安政5年7月18日〉)は、雷部屋に所属した元力士。大坂相撲時代には朝日山部屋、東京へ移行してからは粂川部屋にも所属していた。本名は佐伯 石五郎。身長,体重とも不明だが、体格は大きく3尺(約90cm)の入り口では常に体を斜めにして入ったと伝わる。出身地は現在の香川県観音寺市(旧・讃岐国豊田郡を挙げた。1850年11月場所に新入幕。1852年1月場所では西前頭7枚目で、7勝2敗1休の優勝同点。1853年7月8日(嘉永6年6月3日)、アメリカ海軍のペリーが浦賀に来航した際には、幕府が与えた200俵の米俵を何と一気に8俵もの米俵を担いで積み込んだというエピソードも残っている。幕内では僅か1場所しか負け越しが無く、しばしば優勝争いに絡み、当時の大関・小柳常吉には3勝を挙げるなど得意にしていた。しかし番付運が非常に悪く、遂に三役以上を経験する事は出来なかった。1858年1月場所後、当時江戸市中に流行したコレラに罹り、7月18日に死去。43歳(41歳及び42歳説もあり。
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