宮原 景晴(みやはら かげはる、? - 寛永元年(1624年))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての薩摩国島津氏の家臣。官位は左近将監、入道名は秋扇。兄は宮原景次。子は宮原景衡。後年の姓は仁礼氏。兄の景次は宮原景種の婿養子となっていたが、永禄11年(1568年)の菱刈氏との合戦で討ち死にしたため、弟の景晴が婿養子となった(景種と景次、何れの婿養子かは不詳)。天正6年(1578年)の新納石城攻めで軍功を為した。串木野(現・鹿児島県いちき串木野市)の地頭となって以降は、天正9年(1581年)の水俣城攻めや天正14年(1586年)の岩屋城の戦いに参加した。その......
宮原 景晴(みやはら かげはる、? - 寛永元年(1624年))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての薩摩国島津氏の家臣。官位は左近将監、入道名は秋扇。兄は宮原景次。子は宮原景衡。後年の姓は仁礼氏。兄の景次は宮原景種の婿養子となっていたが、永禄11年(1568年)の菱刈氏との合戦で討ち死にしたため、弟の景晴が婿養子となった(景種と景次、何れの婿養子かは不詳)。天正6年(1578年......