宗 瑋(そう い、生没年不詳)は、中国三国時代の蜀漢の政治家。蜀に仕え、太中大夫の地位にあった。章武2年(222年)、劉備が呉を攻めて大敗し白帝城に撤退した際、呉の孫権は魏に備えるため(劉備が兵を養っていると聞いて恐れたとも)劉備に和睦を求めた。これに対し、劉備が宗瑋と費禕を派遣して許諾の意を伝えたため、蜀呉両軍の戦線和睦が成立した。
宗 瑋(そう い、生没年不詳)は、中国三国時代の蜀漢の政治家。蜀に仕え、太中大夫の地位にあった。章武2年(222年)、劉備が呉を攻めて大敗し白帝城に撤退した際、呉の孫権は魏に備えるため(劉備が兵を養っていると聞いて恐れたとも)劉備に和睦を求めた。これに対し、劉備が宗瑋と費禕を派遣して許諾の意を伝えたため、蜀呉両軍の戦線和睦が成立した。