宇文皇后(うぶんこうごう、? - 554年)は、西魏の廃帝元欽の皇后。本貫は代郡武川県。宇文泰の娘として生まれた。幼くして風采が優れており、列女図をならべて身近に置いていた。535年(大統元年)、元欽が皇太子となると、彼女は東宮に入れられて、皇太子妃として立てられた。551年(大統17年)、元欽が即位すると、彼女は皇后に立てられた。554年(廃帝3年)1月、元欽が廃位され、彼女も退位した。夫とともに雍州に移され、4月に元欽が毒殺されると、彼女も夫に殉じて毒を飲み、亡くなった。
宇文皇后(うぶんこうごう、? - 554年)は、西魏の廃帝元欽の皇后。本貫は代郡武川県。宇文泰の娘として生まれた。幼くして風采が優れており、列女図をならべて身近に置いていた。535年(大統元年)、元欽が皇太子となると、彼女は東宮に入れられて、皇太子妃として立てられた。551年(大統17年)、元欽が即位すると、彼女は皇后に立てられた。554年(廃帝3年)1月、元欽が廃位され、彼女も......