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孝端顕皇后

推定知名度0.21%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

孝端顕皇后(こうたんけんこうごう、1564年11月7日(嘉靖43年10月4日) - 1620年5月7日(万暦48年4月6日))は、明の万暦帝の皇后である。姓諱は王 喜姐(おう きしゃ)。浙江省|浙江餘姚の出身。従九品文思院副使の王偉の長女として生まれた。万暦6年(1577年)、選抜されて皇后となった。父の王偉は伯爵(永年伯)に封じられた。真赤の服を好み、後宮の主として聡明かつ謹厳な性格で、極めて有能であった。万暦帝の文書の収集、整理、皇太后たちへの孝事をこなし、太子朱常洛(のちの泰昌帝、孝靖太后|王皇貴妃の子)を支持し、皇帝の寵妃(孝寧太皇太后|鄭皇貴妃)には寬容で、自身に皇帝の寵愛はなくとも皇后の地位を盤石にした。一方で、宮女や太監(宦官)たちへの虐待を数多く行い、時には死に至らしめた。万暦48年(1620年)、崩じた。孝端貞恪荘恵仁明媲天毓聖顕皇后の諡号を贈られた。

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