孝公(こうこう、紀元前381年 - 紀元前338年)は、中国戦国時代・秦の第25代公。姓は嬴(えい)、諱は渠梁(きょりょう)。献公師隰の嫡子。即位するや、国中に布告を出して国政の立て直しをはかり、やがて、魏からやってきた商鞅を起用して抜本的な国政の改革()を断行、穆公亡き後の衰退した秦を強力な中央集権国家として生まれ変わらせた。都を櫟陽から咸陽に遷都。対外的にも魏を破るなど、富国強兵に努めた中興の祖。
孝公(こうこう、紀元前381年 - 紀元前338年)は、中国戦国時代・秦の第25代公。姓は嬴(えい)、諱は渠梁(きょりょう)。献公師隰の嫡子。即位するや、国中に布告を出して国政の立て直しをはかり、やがて、魏からやってきた商鞅を起用して抜本的な国政の改革()を断行、穆公亡き後の衰退した秦を強力な中央集権国家として生まれ変わらせた。都を櫟陽から咸陽に遷都。対外的にも魏を破るなど、富国......