奥津城(おくつじょう)は、上総国夷隅郡興津(現在の千葉県勝浦市興津字要害)にあった城。別名・興津城(おきつじょう)。伝承によれば、正嘉2年(1258年)に地元の武士である佐久間氏によって築城されたとされているが、城の実在を確認できるのは戦国時代に入ってからとされる。その後、真里谷氏・正木氏の支配下に入った。正木氏が奥津城を領したのは、天文13年(1544年)頃とされているが、天正8年(1580年)に正木憲時が里見義頼に叛旗を翻したときには、里見軍に攻められて「興津巣城計(すじろばかり)」すなわち城郭部分以外が撃破されて裸の状態になったという(『妙本寺文書』......
奥津城(おくつじょう)は、上総国夷隅郡興津(現在の千葉県勝浦市興津字要害)にあった城。別名・興津城(おきつじょう)。伝承によれば、正嘉2年(1258年)に地元の武士である佐久間氏によって築城されたとされているが、城の実在を確認できるのは戦国時代に入ってからとされる。その後、真里谷氏・正木氏の支配下に入った。正木氏が奥津城を領したのは、天文13年(1544年)頃とされているが、天正......