太田 雄蔵(おおた ゆうぞう、文化4年(1807年) - 安政3年(1856年))は、江戸時代の囲碁棋士。江戸生まれ、安井門下、七段上手。天保四傑と呼ばれる一人。幼名は川原卯之助、後に良輔、その後太田姓を名乗り、雄蔵とした。号は一石庵爛柯。気合いがよく華麗な碁と言われる。本因坊跡目秀策との三十番碁が著名。
太田 雄蔵(おおた ゆうぞう、文化4年(1807年) - 安政3年(1856年))は、江戸時代の囲碁棋士。江戸生まれ、安井門下、七段上手。天保四傑と呼ばれる一人。幼名は川原卯之助、後に良輔、その後太田姓を名乗り、雄蔵とした。号は一石庵爛柯。気合いがよく華麗な碁と言われる。本因坊跡目秀策との三十番碁が著名。