太田 時連(おおた ときつら、1269年(文永6年) - 1345年3月13日(興国6年/康永4年2月9日))は鎌倉幕府後期の実務官僚。幕府滅亡後は室町幕府に仕えた。三善康信の子孫で父は『建治三年記』を表した太田康有。『永仁三年記』の著者で、『吾妻鏡』の主要な編纂者と目されている。官位は信濃守、勘解由判官。三善氏は代々問注所執事を世襲する。初期には町野氏が二代に渡って問注所執事を世襲するが、町野を名乗る三善康持が宮騒動に連座して失脚、その後太田を名乗る三善康連が問注所執事となり、その職は子の太田康有を経て太田時連へと世襲される。1285年(弘安8年)の霜月......
太田 時連(おおた ときつら、1269年(文永6年) - 1345年3月13日(興国6年/康永4年2月9日))は鎌倉幕府後期の実務官僚。幕府滅亡後は室町幕府に仕えた。三善康信の子孫で父は『建治三年記』を表した太田康有。『永仁三年記』の著者で、『吾妻鏡』の主要な編纂者と目されている。官位は信濃守、勘解由判官。三善氏は代々問注所執事を世襲する。初期には町野氏が二代に渡って問注所執事を......