大関 和七郎(おおぜき わしちろう)は、江戸時代末期(幕末)の水戸藩士。桜田門外の変で井伊直弼襲撃に参加した桜田十八士の1人である。実兄に黒澤忠三郎、甥に広岡子之次郎がいる。弘化3年(1846年)に叔父である大関恒右衛門増賀の養子となって150石の家督を継いだ。安政2年(1855年)に馬廻組に任命され、安政5年(1858年)には大番組に編入される。安政6年(1859年)に戊午の密勅が下ると、兄の黒澤と同じく過激な尊王攘夷派だったことから、返納に反対して奉勅を訴えた。このため幕府の後ろ盾があった藩保守派より圧力を受け、商人に変装して名も酒泉好吉と改めて江戸に......
大関 和七郎(おおぜき わしちろう)は、江戸時代末期(幕末)の水戸藩士。桜田門外の変で井伊直弼襲撃に参加した桜田十八士の1人である。実兄に黒澤忠三郎、甥に広岡子之次郎がいる。弘化3年(1846年)に叔父である大関恒右衛門増賀の養子となって150石の家督を継いだ。安政2年(1855年)に馬廻組に任命され、安政5年(1858年)には大番組に編入される。安政6年(1859年)に戊午の密......