大藤 秀信(だいとう ひでのぶ、生年不詳 - 元亀3年(1572年))は、戦国時代 (日本)|戦国時代の武将。北条氏康・北条氏政|氏政の家臣で、相模国田原城 (相模国)|田原城主、相模国中郡郡代で諸足軽衆の足軽大将。大藤信基の子。通称・与七、式部少輔(式部丞)、法号は芳円。室は山角康定の娘。息子に北条氏政から偏諱|1字を賜った大藤政信|政信(2代目)がいるが、秀信自身も氏政から1字を賜って同名の政信に改名している。そのため、息子と区別するために「初代政信」と呼ばれることがある。父の信基の死去後の天文 (元号)|天文21年(1552年)に末子であったが、大藤......
大藤 秀信(だいとう ひでのぶ、生年不詳 - 元亀3年(1572年))は、戦国時代 (日本)|戦国時代の武将。北条氏康・北条氏政|氏政の家臣で、相模国田原城 (相模国)|田原城主、相模国中郡郡代で諸足軽衆の足軽大将。大藤信基の子。通称・与七、式部少輔(式部丞)、法号は芳円。室は山角康定の娘。息子に北条氏政から偏諱|1字を賜った大藤政信|政信(2代目)がいるが、秀信自身も氏政から1......