大槻 安広(おおつき やすひろ、天保8年(1837年) - 明治31年(1898年)6月8日)は、幕末の仙台藩士。幼名は定之進。明治期には戸長、県会議員などを務めた。家は仙台藩士大槻安定の分家で、大槻広漢(ひろあや)の子として生まれる。戊辰戦争時には軍目付として白河口に出陣。また、官軍の参謀世良修蔵を藩士田辺覧吉、小栗大三郎らと謀り処刑する。田辺は自刃、小栗は失踪したのに対し、安広は検司という立場から一時捕縛され糾問を受けるが、申立が明確であったため赦されて仙台へ帰った。明治2年(1869年)、芋沢村(現仙台市青葉区芋沢)に転居。以後は殖産に力を注ぎ、開墾......
大槻 安広(おおつき やすひろ、天保8年(1837年) - 明治31年(1898年)6月8日)は、幕末の仙台藩士。幼名は定之進。明治期には戸長、県会議員などを務めた。家は仙台藩士大槻安定の分家で、大槻広漢(ひろあや)の子として生まれる。戊辰戦争時には軍目付として白河口に出陣。また、官軍の参謀世良修蔵を藩士田辺覧吉、小栗大三郎らと謀り処刑する。田辺は自刃、小栗は失踪したのに対し、安......