大岡 忠貫(おおおか ただつら)は、江戸時代後期の大名。武蔵国岩槻藩第8代藩主。大岡忠房家11当主。大岡忠恕の長男。1866年(慶応2年)、父・忠恕の隠居により家督を相続し、岩槻藩主となる。武州世直し一揆で忍藩・高崎藩とともに鎮圧のために出兵した。1868年(慶応4年・明治元年)、戊辰戦争では新政府に恭順し、忠貫は東山道総督・岩倉具定の命により、幕府脱走兵の追討にあたった。1869年(明治2年)の版籍奉還で岩槻藩知事に忠貫は就任するが、1871年(明治4年)からの廃藩置県により、岩槻藩は廃藩となり、知藩事を罷免される。1884年(明治17年)、子爵に叙任。......
大岡 忠貫(おおおか ただつら)は、江戸時代後期の大名。武蔵国岩槻藩第8代藩主。大岡忠房家11当主。大岡忠恕の長男。1866年(慶応2年)、父・忠恕の隠居により家督を相続し、岩槻藩主となる。武州世直し一揆で忍藩・高崎藩とともに鎮圧のために出兵した。1868年(慶応4年・明治元年)、戊辰戦争では新政府に恭順し、忠貫は東山道総督・岩倉具定の命により、幕府脱走兵の追討にあたった。186......