大塚 綱久(おおつか つなひさ、生年不詳 - 天文10年(1541年)?)は、戦国時代の武将で,白河結城氏の家臣。吉久、為久の父。掃部助。佐竹氏の臣であったが、1505年に佐竹氏に背いて白河結城氏に属し、羽黒山城の城代となった。1541年、佐竹氏が斑目広基の護る東館城に侵攻した際に援軍として佐竹氏と戦い、戦死したと言われている。大塚氏は綱久のあと三代に渡って羽黒山城を治めていたが、1564年、為久の時に佐竹氏に攻められ落城した。為久はその後、1578年に陸奥石川氏と同盟関係にある浅川氏の浅川城を攻めた際に弓で射られ、討死した。おおつかつなひさおおつかつなひ......
大塚 綱久(おおつか つなひさ、生年不詳 - 天文10年(1541年)?)は、戦国時代の武将で,白河結城氏の家臣。吉久、為久の父。掃部助。佐竹氏の臣であったが、1505年に佐竹氏に背いて白河結城氏に属し、羽黒山城の城代となった。1541年、佐竹氏が斑目広基の護る東館城に侵攻した際に援軍として佐竹氏と戦い、戦死したと言われている。大塚氏は綱久のあと三代に渡って羽黒山城を治めていたが......