多宝寺(たほうじ)は、かつて鹿児島県日置市吹上町に存在した臨済宗の寺院である。伊集院(現・日置市伊集院)にあった広済寺の末寺として建立され、この地の支配者であった島津氏分家・伊作家の菩提寺となった。しかし、明治2年の廃仏毀釈で廃寺となり、翌年に歴代伊作家当主を祭神とする石亀神社となった。現在は3代と10代を除く歴代伊作家当主の墓と琉球出兵で大将を務めた樺山久高とその妻の墓がある。廃たほうし廃たほうしCategory:日置市の歴史Category:日本の仏教遺跡
多宝寺(たほうじ)は、かつて鹿児島県日置市吹上町に存在した臨済宗の寺院である。伊集院(現・日置市伊集院)にあった広済寺の末寺として建立され、この地の支配者であった島津氏分家・伊作家の菩提寺となった。しかし、明治2年の廃仏毀釈で廃寺となり、翌年に歴代伊作家当主を祭神とする石亀神社となった。現在は3代と10代を除く歴代伊作家当主の墓と琉球出兵で大将を務めた樺山久高とその妻の墓がある。......