多劫姫(たけひめ、天文22年(1553年) - 元和4年6月7日(1618年7月28日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。久松俊勝の娘。母は於大の方で、徳川家康は異父兄。桜井松平忠正の室、のち松平忠吉の室、さらに保科正直の室。阿久居城で生まれた。初め松平忠正に嫁ぎ、家広を産んだ。しかし、天正5年(1577年)に夫が死去したため、その弟・忠吉に再嫁した。忠吉との間に二子(松平信吉、松平忠頼)を儲けたが、天正10年(1582年)に夫が死去し、多劫姫は再び寡婦となった。天正12年(1584年)、保科正直に再々嫁し、保科正貞、北条氏重、大涼院(黒田長政......
多劫姫(たけひめ、天文22年(1553年) - 元和4年6月7日(1618年7月28日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。久松俊勝の娘。母は於大の方で、徳川家康は異父兄。桜井松平忠正の室、のち松平忠吉の室、さらに保科正直の室。阿久居城で生まれた。初め松平忠正に嫁ぎ、家広を産んだ。しかし、天正5年(1577年)に夫が死去したため、その弟・忠吉に再嫁した。忠吉との間に二子......