多久 茂矩(たく しげのり、生年不詳元禄2年12月10日 (旧暦)|12月10日(1690年1月20日))は、江戸時代前期の佐賀藩士。龍造寺四家の一つ後多久氏の当主で、第3代多久邑主。多久茂辰の子。長門守。室は神代常利|神代岡之助常利の娘の菊子。実子に鍋島清信(姉川鍋島家・鍋島清長養子)、養子に多久茂文|茂文(鍋島光茂の三男)。父の茂辰が正保3年(1646年)、返済不能な私借銀を作ったとして請役を免ぜられたが、寛文12年(1672年)、鍋島茂紀とともに(のちに諫早茂元も任じられる)請役となり、貞享4年(1687年)に請役が1人となり諫早茂紀が請役となるまで......
多久 茂矩(たく しげのり、生年不詳元禄2年12月10日 (旧暦)|12月10日(1690年1月20日))は、江戸時代前期の佐賀藩士。龍造寺四家の一つ後多久氏の当主で、第3代多久邑主。多久茂辰の子。長門守。室は神代常利|神代岡之助常利の娘の菊子。実子に鍋島清信(姉川鍋島家・鍋島清長養子)、養子に多久茂文|茂文(鍋島光茂の三男)。父の茂辰が正保3年(1646年)、返済不能な私借銀を......