増子女王(ますこじょおう、正徳元年10月19日(1711年11月28日) - 享保18年10月3日(1733年11月9日))は、江戸幕府第9代将軍・徳川家重の将軍世子時代の御簾中(正室)。伏見宮邦永親王の第四王女。幼称は比宮(なみのみや)。院号は證明院(しょうめいいん)。諱には培子と記されたものもある。家重の父・徳川吉宗の紀州藩主時代の御簾中だった理子女王は叔母にあたる。
増子女王(ますこじょおう、正徳元年10月19日(1711年11月28日) - 享保18年10月3日(1733年11月9日))は、江戸幕府第9代将軍・徳川家重の将軍世子時代の御簾中(正室)。伏見宮邦永親王の第四王女。幼称は比宮(なみのみや)。院号は證明院(しょうめいいん)。諱には培子と記されたものもある。家重の父・徳川吉宗の紀州藩主時代の御簾中だった理子女王は叔母にあたる。