堀 悌吉(ほり ていきち、1883年(明治16年)8月16日 - 1959年(昭和34年)5月12日)は日本の海軍軍人。大分県杵築市出身。同期生の山本五十六、後輩の井上成美からの信頼が厚く、山本権兵衛、加藤友三郎らの系譜を継ぎ海軍軍政を担うと目されていたが、軍縮会議後の大角人事により中将で予備役に編入される。東條内閣の海相・嶋田繁太郎が、「堀が開戦前に海軍大臣であれば、もっと適切に時局に対処できたのではないか」と述べているように、その才幹を惜しまれた人物である。また\"戦争自体は悪である\"との持論を持っていた。
堀 悌吉(ほり ていきち、1883年(明治16年)8月16日 - 1959年(昭和34年)5月12日)は日本の海軍軍人。大分県杵築市出身。同期生の山本五十六、後輩の井上成美からの信頼が厚く、山本権兵衛、加藤友三郎らの系譜を継ぎ海軍軍政を担うと目されていたが、軍縮会議後の大角人事により中将で予備役に編入される。東條内閣の海相・嶋田繁太郎が、「堀が開戦前に海軍大臣であれば、もっと適切......