土持 親信(つちもち ちかのぶ、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将。土持親成の子。土持久綱の養子。通称は次郎。県土持氏の直系。天正6年(1578年)、豊後大友氏の襲来を予期した父・親成によって若年であることを理由に土持山城守を付けられ薩摩国へ落ち延びる。その後、県土持氏は壊滅的打撃を被るも、大友氏が耳川の戦いに大敗すると、島津氏の後援で松尾城に復帰した。天正7年(1579年)から天正16年(1588年)までの9年間、土持氏が県地頭を勤めたとされる(『上井覚兼日記』など)が、これが親信か久綱なのかはよく分からない。ただし、天正7年、大友氏の重臣田原鎮忠より町......
土持 親信(つちもち ちかのぶ、生没年不詳)は、安土桃山時代の武将。土持親成の子。土持久綱の養子。通称は次郎。県土持氏の直系。天正6年(1578年)、豊後大友氏の襲来を予期した父・親成によって若年であることを理由に土持山城守を付けられ薩摩国へ落ち延びる。その後、県土持氏は壊滅的打撃を被るも、大友氏が耳川の戦いに大敗すると、島津氏の後援で松尾城に復帰した。天正7年(1579年)から......