呉 巨(ご きょ、生没年不詳)は、中国後漢末期の武将。はじめ劉表に仕え、蒼梧太守となった。ただし、当時の交州刺史部は士燮に支配されており、実際に統治していたかは疑問である。劉備は昔馴染みであったため、劉表死後に曹操の追撃を受けた時、呉巨を頼って落ち延びようとした。しかし孫権軍の魯粛が「呉巨は平凡な人物だから、頼りにしても当てにならない」と進言したため、落ち延びることをやめたという。劉表死後、劉表から交州刺史に任命されていた頼恭を追い出し自立した。しかし210年、孫権が交州刺史として歩騭を派遣するとその家臣になった。しかし、孫権に対して含むところが多かったた......
呉 巨(ご きょ、生没年不詳)は、中国後漢末期の武将。はじめ劉表に仕え、蒼梧太守となった。ただし、当時の交州刺史部は士燮に支配されており、実際に統治していたかは疑問である。劉備は昔馴染みであったため、劉表死後に曹操の追撃を受けた時、呉巨を頼って落ち延びようとした。しかし孫権軍の魯粛が「呉巨は平凡な人物だから、頼りにしても当てにならない」と進言したため、落ち延びることをやめたという......