呂 威璜(りょ いこう、?-200年)は、中国の後漢時代末期の武将。袁紹配下の将(騎督)。『三国志』「武帝紀」が引く『曹瞞伝』に名前がある。「武帝紀」本文や「袁紹伝」には名は見えない。「楽進伝」や「張郃伝」にも名はない。「武帝紀」が引く『献帝起居注』に、曹操が淳于瓊ら袁紹の将8名を斬ったという記述があるが、やはり呂威璜の名はない。袁紹と曹操が華北の覇権をかけて争った官渡の戦いの最中、輸送隊長の淳于瓊をはじめ、督将の眭固、騎督の韓猛・趙叡と共に騎督として兵糧輸送の要である鳥巣の守備を担っていた。ところが袁紹から離反した許攸の情報により、鳥巣の守備が手薄である......
呂 威璜(りょ いこう、?-200年)は、中国の後漢時代末期の武将。袁紹配下の将(騎督)。『三国志』「武帝紀」が引く『曹瞞伝』に名前がある。「武帝紀」本文や「袁紹伝」には名は見えない。「楽進伝」や「張郃伝」にも名はない。「武帝紀」が引く『献帝起居注』に、曹操が淳于瓊ら袁紹の将8名を斬ったという記述があるが、やはり呂威璜の名はない。袁紹と曹操が華北の覇権をかけて争った官渡の戦いの最......