吉良 義郷(きら よしさと、生年不詳 - 天文6年(1537年)1月(旧暦))は、戦国時代の武将。三河西条吉良氏。仮名は三郎。左兵衛佐の官職を僭称した。母は後藤平大夫の女。法名は寶樹寺殿奇山敏勝大禅定門。西条城主吉良氏の吉良義堯の長男として生まれる。義安、義昭は弟にあたる。父義堯の跡を継いで西条吉良氏の当主となったが、早世したという。一説に天文6年(1537年)に駿河の大名今川義元と戦い戦死したともいわれる(吉良氏の菩提寺実相寺に伝わった吉良氏系図では天文9年(1540年)4月23日死去)。義郷の死後、家督を義安が継いだ。
吉良 義郷(きら よしさと、生年不詳 - 天文6年(1537年)1月(旧暦))は、戦国時代の武将。三河西条吉良氏。仮名は三郎。左兵衛佐の官職を僭称した。母は後藤平大夫の女。法名は寶樹寺殿奇山敏勝大禅定門。西条城主吉良氏の吉良義堯の長男として生まれる。義安、義昭は弟にあたる。父義堯の跡を継いで西条吉良氏の当主となったが、早世したという。一説に天文6年(1537年)に駿河の大名今川義......