吉良 朝氏(きら ともうじ、? - 応永35年4月25日(1428年6月8日))は室町時代前期の武将。吉良尊義の嫡男。東条城主。右兵衛督、東条中務と称する。後期東条吉良氏(下吉良)2代目。子は吉良持長。事績は確かな史料がなく明らかとなっていないが、晩年、入道して京都に住んだらしい。応永31年(1424年)12月30日に三宝院満済の許へ歳末の礼に訪れている。応永35年(1428年)4月25日病死。法名は光栄寺殿。
吉良 朝氏(きら ともうじ、? - 応永35年4月25日(1428年6月8日))は室町時代前期の武将。吉良尊義の嫡男。東条城主。右兵衛督、東条中務と称する。後期東条吉良氏(下吉良)2代目。子は吉良持長。事績は確かな史料がなく明らかとなっていないが、晩年、入道して京都に住んだらしい。応永31年(1424年)12月30日に三宝院満済の許へ歳末の礼に訪れている。応永35年(1428年)......