画像引用元: upload.wikimedia.org吉良俊一
推定知名度1.88%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
吉良 俊一(きら しゅんいち、1889年(明治22年)9月9日 - 1947年(昭和22年)4月30日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。日本海軍搭乗員として空母初着艦を成功させ、着艦三羽烏の異名があった。大分県出身。杵築中学を経て海兵40期を卒業。山口多聞、宇垣纏、大西瀧治郎、千田貞敏らは同期生である。1921年(大正10年) 大西、千田、三木森彦らと共に選抜され、センピル教育団の講習に参加した。航空母艦「鳳翔」航空長(大尉)在任中の1923年(大正12年)3月16日、「鳳翔」で行われた一〇式艦上戦闘機の発着艦テストに成功。航空母艦へ着艦した最初の日本人である。この時1回目の着艦テストでは甲板を滑って海上に転落。予備機で行われた第2回のテストで着艦に成功している。なお、日本での航空母艦への着艦は元英国空軍大尉ウィリアム・ジョルダンが、また滑走台からの発艦に桑原虎雄が成功していた。 大湊海軍航空隊司令を経て大佐へ進級。のち航空母艦「龍驤」艦長、1937年8月26日特設水上機母艦香久丸艦長、同年12月15日海軍航空廠飛行実験部長兼海軍技術会議議員など航空畑を歴任した。また海軍大学校で特修学生として教育を受けている。
過去の推移
–06
–07
1.4908
1.9809
1.9710
1.8511
1.7812
1.7713
1.8314
1.8815
1.8816
