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古村啓蔵

推定知名度2.38%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

古村 啓蔵(こむら けいぞう、1896年7月20日 - 1978年2月7日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。戦艦「武蔵」の第2代艦長であり、坊の岬沖海戦では軽巡洋艦「矢矧」に乗艦。第二水雷戦隊を指揮していた。あだ名は「両舷直の親玉」。長野県上伊那郡朝日村(現辰野町)出身。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒後、海軍兵学校卒(45期)。病のため1年留年している。海軍兵学校の同期生では、坊の岬沖海戦時に共に戦った第二艦隊参謀長森下信衛少将、同郷同窓の戦艦「大和」艦長有賀幸作大佐(戦死後中将)が有名である。海軍大学校甲種学生(27期)、英国駐在、教育局第二課長等を経て太平洋戦争開戦を迎えた。ちなみに有賀幸作の父作太郎は古村の兵学校入学時の保証人でもある。

過去の推移