原 盛胤(はら もりたね、生年未詳 - 天正3年5月21日(1575年6月29日))は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。通称は甚四郎。名は昌胤であったともされ、譜代家老の原昌胤と区別するために、甚四郎昌胤とも呼ばれる。武田二十四将の1人で「鬼美濃」として有名な足軽大将である原虎胤の次男として生まれる。長兄の横田康景が横田高松の婿養子となったため、永禄7年(1564年)に父・虎胤が死去すると家督を継いで武田信玄に仕えた。『甲陽軍鑑』によれば元亀2年(1571年)、酒宴の席で諸角昌守(諸角虎定の子)と口論の上で喧嘩乱闘に及んだため、信玄によって喧嘩両成敗とし......
原 盛胤(はら もりたね、生年未詳 - 天正3年5月21日(1575年6月29日))は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。通称は甚四郎。名は昌胤であったともされ、譜代家老の原昌胤と区別するために、甚四郎昌胤とも呼ばれる。武田二十四将の1人で「鬼美濃」として有名な足軽大将である原虎胤の次男として生まれる。長兄の横田康景が横田高松の婿養子となったため、永禄7年(1564年)に父・虎胤......