北郷 忠相(ほんごう ただすけ)は戦国時代の武将。北郷氏8代当主。大永3年(1523年)までは、伊東氏、北原氏、更には新納氏、本田氏らの四方に敵を抱えて長年戦い続け、伊東尹祐の猛攻に辛うじて都之城と安永城の兵800名で領地を維持している状態だったが、尹祐の急死によって伊東氏と和議を結ぶ。これを転機として、本田親尚や新納忠勝を攻め、次第に領域を拡大していく。天文元年(1532年)、島津忠朝・北原久兼と密約を交わし、三軍で伊東氏領の三俣院高城を襲撃。伊東軍に壊滅的打撃を与えた(不動寺馬場の戦い)。伊東氏はこの敗戦に加え、家中に内紛が発生したことで三俣院の維持が......
北郷 忠相(ほんごう ただすけ)は戦国時代の武将。北郷氏8代当主。大永3年(1523年)までは、伊東氏、北原氏、更には新納氏、本田氏らの四方に敵を抱えて長年戦い続け、伊東尹祐の猛攻に辛うじて都之城と安永城の兵800名で領地を維持している状態だったが、尹祐の急死によって伊東氏と和議を結ぶ。これを転機として、本田親尚や新納忠勝を攻め、次第に領域を拡大していく。天文元年(1532年)、......