北条 氏秀(ほうじょう うじひで、生年不詳 - 天正11年6月2日(1583年7月10日))は、戦国時代の武将。武蔵国江戸城代。北条綱成の次男(孫とも)。幼名・虎松丸。通称・孫二郎、治部少輔(治部大輔とも)。最初、北条氏康の偏諱を賜って沼田(北条)康元(やすもと)と名乗ったという。綱景・氏広という署名も残っている。
北条 氏秀(ほうじょう うじひで、生年不詳 - 天正11年6月2日(1583年7月10日))は、戦国時代の武将。武蔵国江戸城代。北条綱成の次男(孫とも)。幼名・虎松丸。通称・孫二郎、治部少輔(治部大輔とも)。最初、北条氏康の偏諱を賜って沼田(北条)康元(やすもと)と名乗ったという。綱景・氏広という署名も残っている。