北条 友時(ほうじょう ともとき、生年未詳 - 暦応2年(1339年))は、室町時代初期の武将。北条氏の一門。普恩寺流・北条仲時の子。幼名は松寿。左馬助。普音寺友時とも。父仲時は元弘の乱で討ち死にし、1333年に北条一族は滅亡した。その6年後、友時は伊豆国仁科城において与党37人と共に捕らえられる。暦応2年(1339年)、鎌倉竜ノ口で12名の手勢と共に処刑された。
北条 友時(ほうじょう ともとき、生年未詳 - 暦応2年(1339年))は、室町時代初期の武将。北条氏の一門。普恩寺流・北条仲時の子。幼名は松寿。左馬助。普音寺友時とも。父仲時は元弘の乱で討ち死にし、1333年に北条一族は滅亡した。その6年後、友時は伊豆国仁科城において与党37人と共に捕らえられる。暦応2年(1339年)、鎌倉竜ノ口で12名の手勢と共に処刑された。