劉康(りゅう こう、? - 97年)は、後漢の皇族。光武帝の第5子、母は郭皇后。東海恭王劉彊、沛献王劉輔の同母弟。明帝の異母弟。39年(建武15年)に済南公に封じられ、2年後に進爵して王となる。52年(建武28年)に封国に赴くが、法令を守らず食客と交遊にふけった。明帝の代に、州都に奸猾の徒である顔忠、劉子産を招じ入れ、謀反を企てたかどで告発された。謀反を上奏された明帝であったが、劉康との親密な関係があったため厳罰を与えず、封地5県を減じただけで処理している。83年(建初83年)には、甥の章帝によりさらに5県を減じられている。劉康は多くの蓄財により宮廷の大改......
劉康(りゅう こう、? - 97年)は、後漢の皇族。光武帝の第5子、母は郭皇后。東海恭王劉彊、沛献王劉輔の同母弟。明帝の異母弟。39年(建武15年)に済南公に封じられ、2年後に進爵して王となる。52年(建武28年)に封国に赴くが、法令を守らず食客と交遊にふけった。明帝の代に、州都に奸猾の徒である顔忠、劉子産を招じ入れ、謀反を企てたかどで告発された。謀反を上奏された明帝であったが、......