前田 則邦(まえだ のりくに、弘化4年(1847年) - 大正4年(1915年))は、政治家、画家。富山藩9代藩主前田利幹の次男前田利民の子。幼名竹太郎(武太郎)。民邦、春江とも。初代富山市長(明治22年(1889年)6月2日 - 明治28年(1895年)5月27日)となる。嘉永7年(1854年)知行500石と若土姓を賜り、臣下となる。明治8年に前田姓に復し、富山師範学校校長、婦負・上新川・中新川の郡長、明治11年(1878年)に設立した十二銀行(北陸銀行の前身)頭取などを歴任した。画家としても山水画を残している。のりくにCategory:幕末富山藩の人物......
前田 則邦(まえだ のりくに、弘化4年(1847年) - 大正4年(1915年))は、政治家、画家。富山藩9代藩主前田利幹の次男前田利民の子。幼名竹太郎(武太郎)。民邦、春江とも。初代富山市長(明治22年(1889年)6月2日 - 明治28年(1895年)5月27日)となる。嘉永7年(1854年)知行500石と若土姓を賜り、臣下となる。明治8年に前田姓に復し、富山師範学校校長、婦......