前田 利貞(まえだ としさだ、慶長3年3月16日(1598年4月21日)- 元和6年8月2日(1620年8月29日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。前田利家の六男、母は側室・逞正院(阿千代。越前葛野坊円福寺の五女)。幼名は乙松丸、後に七兵衛、備前、利豊。子女は前田貞里。利家の近習であった神谷守孝に養育され、神谷氏を称す。1611年(慶長16年)11月に衣服領500石を賜い前田氏に改める。大坂の陣に従軍し、特に大坂冬の陣では兄・前田知好の陣に属し、功により5000石を加増される。両陣とも直接戦闘には参加せず、後方支援だった。1618年(元和......
前田 利貞(まえだ としさだ、慶長3年3月16日(1598年4月21日)- 元和6年8月2日(1620年8月29日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。前田利家の六男、母は側室・逞正院(阿千代。越前葛野坊円福寺の五女)。幼名は乙松丸、後に七兵衛、備前、利豊。子女は前田貞里。利家の近習であった神谷守孝に養育され、神谷氏を称す。1611年(慶長16年)11月に衣服領50......