前波 景定(まえば かげさだ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。通称・左衛門五郎、藤右衛門尉。朝倉氏の重臣。代々「藤右衛門尉」を称す前波氏の嫡流の当主で前波景当、前波吉継の父。前代の吉当までの前波氏嫡流当主が実名に「吉」を使っているのに対し、景定・景当は朝倉氏当主から拝領した「景」の字を用いている。天文年間(1539年(天文8年))頃?から主に奉行人として足利義晴への奏者を務めるなど、評定衆として家中で重きを成した。また、奉行人を務める傍ら、たびたび合戦に出陣したらしく、奉行人連署状に花押の代わりに「在陣」と記したものが残っている。1562年(永禄5年)12......
前波 景定(まえば かげさだ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。通称・左衛門五郎、藤右衛門尉。朝倉氏の重臣。代々「藤右衛門尉」を称す前波氏の嫡流の当主で前波景当、前波吉継の父。前代の吉当までの前波氏嫡流当主が実名に「吉」を使っているのに対し、景定・景当は朝倉氏当主から拝領した「景」の字を用いている。天文年間(1539年(天文8年))頃?から主に奉行人として足利義晴への奏者を務めるな......