利蒼(り そう、? - 紀元前186年)は前漢初期に長沙国の相をつとめ、初代軑侯(たいこう)となった政治家。『史記』では利倉、『漢書』では黎朱蒼と記されている。『漢書』によると長沙国は13県、戸数43,000余、人口23万程であり、必ずしも大国とは言えなかったが、漢と南越の重要な貿易中継点として双方から重んじられていた。利蒼はその長沙国の家臣団の長として、交易・外交などの政務で主要な役割を果たしていたと考えられる。『史記』巻19「恵帝間侯者年表」、『漢書』巻16「高恵高后文功臣表」によると、紀元前193年(恵帝2年)4月、利蒼は長沙の相であることを理由に軑......
利蒼(り そう、? - 紀元前186年)は前漢初期に長沙国の相をつとめ、初代軑侯(たいこう)となった政治家。『史記』では利倉、『漢書』では黎朱蒼と記されている。『漢書』によると長沙国は13県、戸数43,000余、人口23万程であり、必ずしも大国とは言えなかったが、漢と南越の重要な貿易中継点として双方から重んじられていた。利蒼はその長沙国の家臣団の長として、交易・外交などの政務で主......